木漏れ日の中で

~ 映画『アーティスト』鑑賞記 ~

 

 期待に胸を膨らませた観客の目の前に広がるモノクロの世界。タイトルバックの古めかしい書体。当時を再現するため、通常よりも幅を狭くしたスクリーン。無声映画を観たことはあっても、劇場で鑑賞するのは初めての人が大半だろう。これから始まる未知の体験にざわめいていた観客と共に、私は一気に1920年代へと誘(いざな)われた。

 気付けば口角は上がり、微笑みを浮かべている。まるで愛する人が目の前にいるかのように、瞳孔は開き、目がキラキラと輝いているのがわかる。胸は高鳴り、大きくひとつ深呼吸……。薄明りの劇場の中、頬はピンク色に染まっていたことだろう。映画が始まった瞬間から、完全に心を奪われてしまった。

 カラーとは違い、モノクロのスクリーンが放つ光は柔らかい。観客が折り重なる間からこぼれる光は、葉の隙間を通り抜ける木漏れ日のように、私の顔をふわっと照らし出した。スクリーンから浴びる光を、これほどまでに心地よく感じたことはなかった。『アーティスト』に一目惚れした瞬間だった。

 

 時は1920年代。映画はそれまでの無声からトーキーへの転換を迎えていた。

 無声映画のスターであるジョージは、自分のファンである駆け出しの女優ペピーと出会う。互いに惹かれ合う二人。何の迷いもなくトーキーの世界に飛び込み、人気者になるペピーとは対照的に、無声映画に固執するジョージは次第に落ちぶれ、時代に取り残されてゆく。しかし、そんなジョージを変わらずに愛し続けるペピー。極上のコメディを加えて描かれる、映画史を語るにあたり外すことのできない時代に焦点をあてた作品だ。

 無声映画は難しい。ずっと白黒だと飽きてしまいそう。そんな多くの人々が抱いたであろう心配は、『アーティスト』には無用だった。

 パントマイムが世界共通であるように、役者たちの豊かな表情や仕草からは、これでもかとダイレクトに感情が伝わってくる。それは下手に台詞の存在するものよりも明らかに、間違いのない解釈を与えてくれる。場面展開も早く、飽きさせることなく物語は進む。

 綿密に計算された画面構成は、フォーカスされた役者だけではなく、その脇にいる役者の表情も見逃さぬように効果的に捉え、表現に奥行きを持たせている。台詞の代わりに、役者から読み取る感情が間違いのないものだと確信付けてくれるのは、バックに流れる美しい音楽だ。それはとてもドラマチックで、音楽を聴いているだけでも幸せな気分になる。

 カラフルな映像で見せるでもない。お洒落な台詞で喋り倒すでもない。過剰なものを一切省いたシンプルな映画が、観客の心を彩り、奥深い感動を与えてくれた。

 何かと最新技術を駆使した作品がもてはやされる中で、無声映画が注目を浴びたことは、映画界にとって意味のある1ページになることだろう。ファッションの流行がリバイバルされるように、映画も先に進むだけではなく、過去に戻ることで可能性は広がる。『アーティスト』は時代背景的にモノクロが似合う作品ではあったが、それに触発され、現代的な題材でもモノクロや無声の作品が出てきたら面白い。

 私が物書きを目指した原点は映画にある。映画から感動を与えてもらうばかりで、その気持ちを何にも還元できていない自分にもどかしさを感じていた。「自分も何かを伝えたい!」そこで辿り着いたのが書くことだった。

 

 映画を観るにあたり、物書きにとっては台詞も大いに注目する要素だが、映画は頭で考えるものではなく心で感じるもの。台詞があっても無くても、カラーでもモノクロでもいい。観客が求めるものは単純に、面白いか、感動できるか、とてもシンプルだ。今目の前で感動を与えてくれる一目惚れした『アーティスト』にジェラシーを感じずにはいられなかった。こんなに惹き込ませる作品を自分も書けるだろうか? 表現をしたいという気持ちが、映画の盛り上がりと共に押し寄せる。映画から貰った一番大切なものは、感動の後に訪れるこのもどかしい気持ちだ。それが書く上での原動力となっているのだから。

 

 映画も終盤に差しかかり、ハッピーエンディングに沸き立つ『アーティスト』からは、変わらずに柔らかな光が観客へと降り注いでいる。木漏れ日の様に優しく包み込む光の中、自分の原点を思い出していた。

 

​安海 まりこ

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